神戸とその周辺地域は1945年1月3日から終戦までの間に大小合わせて128回の
空襲を受け、特に3月17日および6月5日の市街地
絨毯爆撃と、
川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害を受けた。被害状況に関する公式記録は存在せず、具体的な数字ははっきりしていないが、被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、少なくとも8841名の市民が犠牲となり、15万人といわれる負傷者、焼失家屋15万戸、のべ65万人もの人々が家屋に被害を受けたといわれている。これは人口および面積から換算した被害率としては、当時の
五大都市の中でも最悪の数字であった。