全日本GT選手権 wikipedia|無料辞書
RAYBRIG NSX GT500クラスのマシン">
全日本GT選手権(ぜんにほんジーティーせんしゅけん、
Japan GT Championship,
JGTC)は
1993年から
2004年に掛けて行われた自動車
レースの1カテゴリー。当時
ル・マン24時間レース等で主流になりつつあったGT車両によるレースで、1993年まで行われていた
全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦していた
スカイライン GT-Rが、参戦できるカテゴリーを失ったために設立されたという話がある。四輪市販車をベースに改造を施した車両のレースであり、ル・マン24時間などのレギュレーションを参考に始まったものが、日本独自のカテゴリーに変化していった。
◆ 概要
ウエイトハンデを負っていることを示すステッカー 予選・決勝の上位成績マシンには重りの搭載を課すことによって、同クラス内の全マシンの実力の拮抗を図っている。上位成績を重ねるごとにウエイトハンデも増す規定の為、当然ながら、勝ち続けることは困難になってくる。">
・1993年(準備不足もあり、本格的に開催されたのは翌
1994年)より、「全日本GT選手権レース(
JAFの公認する年間シリーズ戦)」として開催。JGTCは、年間数レースを日本を中心に海外でも開催し、参加チーム、ドライバー、はその成績毎にポイントを獲得。その年間トータルのポイントでシリーズ・チャンピオンを決定するカテゴリー。
・2つのクラスを設置しており、GT500クラス(開催当初は第1部門又はGT1)はJGTCのトップクラスで、約500
PSの車両で争われる。このクラスの車両は、
富士スピードウェイや
鈴鹿サーキットなど長い直線を持つコースでは約300km/hにせまる迫力ある走りを見せ、国際的にも注目されている。参加チームの多くは国内外で活躍し、国際的にも通用するレーシングチーム。また、自動車メーカーによるワークス活動が盛んである。
・GT300クラス(開催当初は第2部門又はGT2)は、約300PSの車両で争われる。このクラスはパワーが低い分、改造個所が少なく済むため、有力なプライベートチームが参加し、車両間の格差も少なく、常に激しいレース展開をみせている。
・初年度は
JAFのN3規定で開催されたものの、エントリーした車は2台(GT1:スカイラインGT-R , GT2:シルビア)のみで、レースも全9戦中4戦のみ開催(内1戦は参加車両不足で不成立)だった。それでもレース成立条件が出走2台以上(レース自体はJSS=
ジャパン・スーパースポーツ・セダンレースと混走)、シリーズ成立条件が全3戦以上開催と緩かったため、シリーズは成立し
影山正彦がチャンピオンに輝いた。
・初期の頃は
グループB規定や
IMSAシリーズ等の車両が参戦していた時期もあったが、後年はそうでもなかった。
・シリーズ・チャンピオンを獲得した翌年には、GT500は「1」、GT300は「0」のカーナンバーを付けることが出来る(義務では無いため、GT300クラスで「0」を付けるケースは少ないが、GT500クラスは「1」を必然的に付けている。なお、SUPER GTも同様)。
・参加車両の競争力を均衡させるため、レギュレーションの改正が頻繁に行なわれた。そのため海外メーカーの車両の継続的な参戦は難しく、国内メーカーの為のレースとなってしまった。その傾向は特にGT500で顕著で、今までの日本のツーリングカーレースと同様に参加メーカーの減少、車種の減少、プライベートチームの参加が困難になると言った弊害が出た。この問題は後のSUPER GTにおいても継続しており、解決の見込みは全く立っていない。
◆ 歴代チャンピオン