782年(天応2年)、
勝道上人が男体山の登頂時に発見したといわれている。
1876年(明治9年)には
明治天皇が訪れた際、同湖を「幸の湖(さちのうみ)」と名付けている。
1878年(明治11年)6月末に当地を訪れた
イザベラ・バード女史は、
いろは坂を上り切った山頂から見下ろす中禅寺湖の水面に映える
男体山を絶賛し、また湖畔を
竜頭滝方面に進む際に絶えず聞こえた小石を洗う漣と高さ5メートル弱の
ツツジの林が真紅の花で染まっている様子をその手紙に綴っている
[イザベラ・バード著 「日本紀行」(家族への旅程私信を編纂したもの)による。]。当湖には従来
魚はいなかったが、
日光二荒山神社の記録によると1878年(明治11年)、西欧魚類の放流および
養殖が開始され、日本有数の釣り場となったとある。明治中期から昭和初期にかけて、同湖周辺には
欧米各国の
大使館別荘が建設され、各国の
外交官たちが避暑に訪れる
リゾート地となる。
第二次世界大戦の影響で一時衰退するが、戦後、
いろは坂の開通でアクセスが容易になり、春の新緑や秋の
紅葉など観光地として人気を博している。湖畔には現在も
フランスや
ベルギーなどの大使館別荘がある。